• ふと、待合室の壁に目をやると、大きな数枚のレリーフの額縁が目に入った。

    細やかな線で掘られている、というわけでもなく。

    それはまるで、原始人、もしくはピカソが描いたような抽象的なものだった。

    額縁の下には、「伝説のポケモン」と記されている。

    「あっ……これは…」


    「どしたの、サト君?」

    1枚のレリーフを指差して、サト君が声を上げた。

    「これさ、今日見た綺麗なポケモンに似てない?」

    サト君が指差したのは、フリーザーのレリーフ。

    実際これではないのだろうけど、たしかに似ていた。

    なんというか、雰囲気が。

    「ホント……なんか、似てるね」

    「だろ?」

    そのときだった。さきほどまで使っていた電話が鳴り始だした。受付には誰もいない。

    「誰も出ないのかな?」

    「ジョーイさん、来ないね。サト君出てみたら?」

    少し考えて頷くと、サト君は受話器をとった。

    テレビのモニターに白衣の男の後姿が映った。

    アルコールランプの上のビーカーの中では、インスタントラーメンが煮えている。

    三つ又スプーンでラーメンをかき混ぜながら、男は振り返った。

    「ばあ…。サトシ君、黄泉ちゃん、ワシじゃ、誰だと思う?オーキド博士じゃ」

    「「見れば分かります」」

    またもや、あたしとサト君は声をそろえて言った。

    「今さっきな、サトシくんのママさんから電話があってな。きれいじゃ。まじまじ、きれいな人じゃな」

    どうやら、サト君のお母さんは電話を切ってからすぐにオーキド博士に連絡したらしい。

    ………顔のパックをはずして電話をしたことは、確かなようだ。

    「んで、どうしたんですか?博士」

    「おぉ、そうじゃった。君たち、トキワシティまで行ったとか。本当か」

    「博士、今どこに電話してるんです?」

    困ったようにサト君が聞くと、博士はおぉ、と納得したようだった。

    「ここはトキワシティのポケモンセンターです。俺のピカチュウが大怪我で…」

    「そうか…」

    そう言うと、オーキド博士は深いため息をついた。

    「辛いことじゃが、誰もが通らねばならぬ試練なのじゃ…」

    「じゃあ、シー君たちも?」

    まさかと思って訊ねてみると、案の定オーキド博士はあっさりと首振った。

    「うんにゃ、3人のポケモンは大きなケガもせずその街を出とるよ。

    なにしろ、あの子たちの持っているヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ。

    あの3つはワシのオススメじゃからな。簡単には負けん」

    「俺もピカチュウが好きです!」

    サト君がムキになって叫んだ。

    うん、そうよね。同じレベルなんだし。

    それに、あたしもピカチュウ好きだし。

    「うむ。ピカチュウも磨けば光るかもしれん。ピカッとな………。

    いずれにしても、マサラタウンの4人が1日でトキワシティにたどり着くとはな…」

    オーキド博士は感激した様子で、三つ又スプーンを握り締めた。

    「これはポケモンマスターとしては小さな1歩だが、サトシ君にとってはおーきな1歩じゃ。

    わしは協力するぞ。アテにしとらんかったが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」

    あたしは、“下手な鉄砲”という言葉を聞き逃さなかった。

    サト君、気にしてないのかな。あ、意味が分からなかったのかな…?

    「マサラタウンから、ポケモントレーナーが1人でも多く出ればめでたいこっちゃ。

    ふれー!ふれー!サートーシー!……………さて、」

    はしゃいでいたオーキド博士が、いきなり真面目な顔になった。

    「モンスターボールで、何匹捕まえた?」

    博士の質問によって、場の空気が重たくなった。

    サト君と顔を見合わせて、はぁ、とお互い小さくため息をつく。

    「まだ一匹も……」

    答えを聞いたとたん博士の表情が真っ暗になり、がくんと下を向いた。

    「…………アテにしたワシが馬鹿じゃった」

    「で、でも!あれに似たのは見ました!」

    サト君は勢いよく壁のレリーフを指差した。

    「ん?あれに似たの?」

    テレビ電話のむこうから、レリーフを覗いたオーキド博士は肩をすくめる。

    「あれは会った人間は数少ない伝説のポケモン。お前が会うには百年千年早いわい」


    「博士、それってこいつのこと?」


    あたしはボールの開閉スイッチを押して、フリーザーを出す。

    うおぉぉ、と驚いて博士は握り締めていた三つ又スプーンを落としそうになる。

    「あ、こいつ、レリーフと同じやつ…?」

    「うん、だからサト君が見たのは、正確に言えばこのレリーフのやつじゃないんだけど…」

    「そんなことはどーでもいいっ!どうして君はそんなポケモンを持っとるんじゃ!?」

    オーキド博士が画面越しに叫ぶ。今にもツバが飛んできそうな勢いだ。

    「母がいなくなる前に、私にくれたんです。だから形見みたいなものです」

    ははは、と笑いながら言うと、博士は複雑な表情をした。

    「しかし、フリーザーはとても珍しいポケモン。そう何匹もおるとは…」

    「えぇ…。フリーザーって、タマゴ産むんでしょうか…?」

    「そういう情報も確認されとらんが、もしかしたら産むのかもしれんのう。鳥じゃし」

    「でも、フリーザーに性別なんて…」

    「カタツムリみたいなかんじとか?」

    「うわ、ちょっとイヤ……」

    「それにしてもそのフリーザー、少し小さくないかね?」

    「そうなんですか?フタゴ島のを見たことないのでなんとも言えないですけど」

    フリーザーの背中を撫でてやる。

    滑らかな羽根が、とても気持ちよかった。

    「まぁ、フリーザーが最後に発見されたのはかなり昔のことじゃから、ワシもよく分からんが」

    「博士、話がズレてる。黄泉も」

    間をわって、サト君が入ってくる。すっかり忘れてた…。

    「とにかく!俺らが見たのはこのレリーフに似てたんです!なっ、黄泉?」

    「あ、うん。フリーザーじゃないですけど、たしかにこんな感じでした」

    「何が似たじゃ。フリーザーに似た鳥ポケ……………あ、煮えすぎ。ラーメンがのびる…!」

    オーキド博士の気持ちは、ラーメンにいってしまった。ずるずるずるとラーメンをすすって、

    「あっちちち…サトシ君、黄泉ちゃん、またの連絡待っとるよ。さよなら。鳴らない電話にゃ出られない」

    「「あっ………………」」

    あたしたちに有無を言わせず、電話はプツンと切れてしまった。

    「なんとも強引というか……」

    ぼやくサト君のとなりで、フリーザーをボールに戻す。

    その瞬間、後ろで女の子の叫び声が聞こえた。



    「あー!いたーーッ!!」

    「え?」

    振り返ると、ボロボロの自転車を頭上にふりかざした少女が、ぜいぜいと荒く息をしながら立っている。

    「やっぱりここにいたわね」

    「どうしたの、その自転車?」

    この言葉で、サト君は地雷を踏んだ。

    あーあー…すっかり忘れちゃってるよ…。

    「アンタたちのあと追いかけたら落ちてたのよ。自転車ですって?アンタ今、自転車って言ったわよね?」

    自転車を振り上げたまま、少女はまくしたてた。

    「アンタ、これが自転車って言える!?まるで食べ残しの焼き魚……こげこげの骨だけじゃない。

    これが魚だったら化けて出るわ。どうしてくれるのよ!…………あらら?…きゃっ!」

    怒りに震えた女の子は、そのまま黒コゲ自転車の重みで後ろにひっくり返った。

    「大丈夫?」

    思わず駆け寄り差し出したサト君の手を、女の子は振り払った。

    「触らないでよ!ともかくね、私の自転車、このままじゃすまないんだから…!」

    「まぁまぁ、ちょっと落ち着いて…」

    「アンタは黙ってて!」

    なだめに入ったら、怒鳴られた。さわらぬ神に祟りなしとはこのことだ。

    「自転車は、なんとかする。でも、今はそんなときじゃないんだ」

    「自転車ボロボロにされて、こんなときにそんなときがあるっていうの!?」

    「俺のピカチュウが……俺のピカチュウがさ………」

    「え………?」

    女の子は、サト君の見つめる緊急治療室の赤ランプに気がついた。

    「……そんなに悪いの?」

    「たぶん、そうとう……俺、今どうしたらいいのか…」

    そのときだった。赤ランプが消えて、治療室の扉が開いた。

    ラッキーに運ばれて、ピカチュウを乗せたストレッチャーが出てくる。

    「ピカチュウ!」

    「ピカチュウ、大丈夫か!?」

    コイルにぐるぐる巻きにされたピカチュウの意識はない。

    しかし、しっぽと頭の先につけられたランプが心電図のように点滅している。息をしている証拠だ。

    ジョーイさんが、マスクとゴム手袋を取りながら言った。

    「危機は脱したわ。もっとも、ポケモンセンターで救えないポケモンがあってはならないけど……ね」

    「ラッキー」

    看護をしているラッキーが、うれしそうに鳴いた。

    「さすがポケモンセンター」

    女の子もにっこり笑う。

    「ありがとう、ジョーイさん!!」

    感激したサト君は、それしか言えなかった。

    ジョーイさんは、初めてサト君に笑顔を見せた。

    「あとは集中治療室で回復を待てばいいわ。一緒についててあげなさい」

    あなたも、と付け足してあたしの方を見た。

    「悪い。こんな場合だから…自転車はいつか必ず弁償するよ」

    「なに言ってんのよ、そんな場合?」

    「え?」

    サト君は少女のセリフに驚いた。さっきまで自転車のことばかり言っていたのに、ころっと変わっている。

    「早く看病してあげて。早くったら、はやく!」

    「あ、あぁ。いこう、黄泉」

    「う、うん」

    あたしの手を掴んで早歩きする。さきにピカチュウを集中治療室へ運んでいるラッキーを追いかけた。




    「なにが自転車よ。いったい何考えてんでしょうね、最近の子は………ねぇ?」

    女の子は、ジョーイさんにそう言った。

    「(……あなたも最近の子でしょう?)」

    ジョーイさんは微笑んだ。





    サト君とあたしがストレッチャーに追いつき、集中治療室に近づいた直後だった。

    待合室に、警報ベルが鳴り響く。スピーカーからジュンサーさんの声が聞こえた。

    「警報です、警報です。トキワシティに何者かが侵入した模様。ポケモン誘拐団の恐れがあります。

    ポケモンをお持ちの方、ポケモンとお友達の方、充分警戒願います」